国際派行政学者の挑戦

慶應SFCの教員。才能ないなりに世界レベルの行政学者を目指す40代独身男(負け組)のブログ -月1回ぐらい更新-

マイノリティとして論文を書く

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今日も雪が降る自宅アパートのベランダから

緊急事態宣言によるロックダウンを嘆いている方もいらっしゃるようですが、こちら新潟県魚沼地方では年末から大雪のため自然ロックダウンが続いておりまして、大学のオフィスに行くのもままならない状態です(=。=|||) この土地に赴任して3年目になりますが、昨年も一昨年も少雪で、こんなに雪が降り続くのを見るのは初めてです(☆。☆) オフィスに行くとインターネット無制限で、つい動画など漁ってしまいますが、自宅アパートは3日で10GBという制限付きインターネットなので、研究は捗ります(^ ^;

 

日本語論文の修正や事務仕事を年末年始に片づけ、久しぶりに英語論文の修正に取り掛かりました(過去記事)!ところが論文を書き進めると、なんとも言えない違和感が(´・ω・`) そして気づいたのです...英語で論文を書くとき、自分は途端にマイノリティになるのです。

 

日本語論文を書くとき、日本のデータ・事例の重要性なんて説明しません。しかし、英語論文では、日本のデータ・事例が、行政の一般理論に貢献するか説明することが求められます。穿った言い方をすれば、最新の欧米行政研究を追いかけ、これに関連付けて日本のデータ・事例を理論的に説明しなければなりません... そんなの面白くないから日本語で書け!という日本の先生方の気持ちも分かります。

 

それでも、誰かが日本の行政研究を英語で発表しないと、世界で日本の孤立が進むばかりです。また、国際的な行政学における一般理論が、今後も日本のことなんて全く気にされず構築されていくのも悔しいじゃないですか(`・ω・´) 保守王国で日本より人口が少ないテキサス州の教育データが、行政一般理論に与えている影響は計り知れませんし...(Kenneth J Meier先生の論文を参照してね)。

 

調子に乗りやすい自分としては、ときどきマジョリティそして大体いつもマイノリティ気分で研究する方が、研究者として成長できるように思います( ̄∇ ̄*)