国際派行政学者の挑戦

慶應SFCの教員。才能ないなりに世界レベルの行政学者を目指す40代独身男(負け組)のブログ -月1回ぐらい更新-

また会ったときに

3月は別れの季節ですが、湿っぽい別れが苦手です(^ ^; 卒業生には、研究会(ゼミ)名の入ったペンを贈呈していますが、それは今後も学んでほしいという意味も込めています。涙の多い卒業はその瞬間美しく見えますが、個人的にそれが一つの終着点みたいに思えてしまうのです。また会ったときに胸を張れるよう、お互い少しでも成長しておこう... 学生時代が人生の絶頂期なんて寂しいじゃないですか。

(inspired by 葬送のフリーレン【一級魔法使い試験編】最終回)

 

そういう意味で、今年京都市長選に当選し、慶應SFCを退職された松井孝治先生はかっこよかったです!一度政界を引退され、教職定年まであと僅かでしたが、人生最後の大一番に打って出て勝つ...凄すぎです(^ ^; そんな先生が最終講義で残された言葉が、「義理と人情とやせ我慢」でした。言葉の解釈は人それぞれと思いますが、政治・行政に携わる人に響く金言だと思いました。

 

今回だけは、上記全てある個人に送りたいと思います。3年目にして初めて自分の行政研究会から公務員が誕生しました。国家総合職(行政)に8番で合格したりしましたが、本人の希望もあり地方自治体に勤めるそうです。まだ授業も教えていない自分の研究会に1年目から参加し、驚くほどの勤勉さと事務能力で牽引してくれて、ありがとうm(_ _)m ノンキャリ国家公務員出身の自分は試験勉強で勝てないから、せめてトップジャーナルに論文出して自慢できるよう頑張るよ!

リベンジ!

去年の今頃は、申請した科研費は不採択、国際学会Public Management Research Conference(PMRC)のプロポーザルも落とされ、ただただ落ち込んでいました(T^T)(過去記事)。 しかし、本日科研費の申請結果(基盤C単独)が発表され、無事採択されました!さらに、シアトルで今年6月開催されるPMRCへのプロポーザルも今月初めに受理されました!!これこそ才能ない自分が、研究者として唯一生き残れる道。落ち込んでも這い上がる。あきらめなければ、必ずリベンジのチャンスはあると言い聞かせていました。

 

ここ数年は公私ともに失敗の連続でした。なぜか2月に入って急に私生活も順調です(^ ^; きっと人生はそんなものなのでしょう。努力をしたのに結果が出ないと、挑戦を辞めたくなります。しかし、失敗をしながら学び、成長しているはずです。結果が出る直前まで来ているかもしれないのです。そして、急に堰を切ったように良い結果が続いたりします。

 

これからも、毎年良い結果を出すスーパーな研究者にはなれないかもしれませんちょっとなりたいと思ってる。数年結果が出なくとも、努力が報われるこの瞬間を信じて今後も励みたいです。今日は贅沢して、マッサージと回転寿司でお祝いします\(≧∇≦)/
          

more than words

もう少し無難な学術誌に提出するつもりでした...直前までは( ̄ー ̄;) 呪術廻戦のエンディングテーマ 羊文学の『more than words』を聴いていたらオールド洋楽ファンにとってMore Than WordsとえいばExtreme、以下の歌詞が耳に残って離れなくなりました:

 

いつからか失敗を避けるのにむきになって

本当に欲しいものあきらめて、何がしたいか

 

それで、何かに取り憑かれたように政治学トップジャーナルから掲載拒否喰らった論文を修正し、一流科学誌に提出しました(=゚ω゚=;) 行政学者である自分が分野横断を志向して書いた論文でしたが(過去記事)、専門でない政治学では理論の薄っぺらさが滲み出てしまいました。当初目指していたのは社会科学全体への貢献だったことを思い出し、人生一度ぐらいは理系中心で社会科学も掲載する大きな科学誌に挑戦してみよう!と決めました。時間と労力が報われないのは誰でも怖いですが、きっと後悔はないはずですし、失敗なんて自分の人生に欠かせない友達みたいなものです 笑

 

たくさんのキャラクターが亡くなる呪術廻戦ですが、恐らく根底にあるテーマは才能の違いはあれど精一杯生きるだと思います。全員がハンサムで才能ある五条先生にはなれませんから。闘いに身を置く呪術師たちの言葉だけでない行動で示す生き方に、多くの人が惹かれているのだと思います。

 

来年もあきらめない

年末年始は束の間とはいえ、研究に集中できます(T^T) 授業や事務をしていると、「世界トップの行政学者」を目指している自分をすっかり忘れてしまいます(-_-||| 特に学生を教えていると、「先生」とか呼ばれて偉くなったと勘違いしてしまいがちです。研究者として挑戦しなくなったら、教壇に立つ資格もないと自分に言い聞かせています。

 

今年取り組んだ他分野の学術誌への挑戦は甘くなく(過去記事1)、全く結果が出ておりません(^ ^; とはいえ、知識の幅を広げることは、長期的に専門である行政研究に必ず繋がると信じています(`・ω・´) この年末年始に長く練り上げてきた行政学論文を完成させ、しばらく掲載できていないトップジャーナルに返り咲くのが来年の目標です!

 

この論文は、自分が今後日本人行政学者として世界で闘うために、何をすべきか考えた末見出した「公共的価値 Public Value」に関するものです(* ̄ー ̄*) 年収など金銭的価値が過度に現代社会を支配していると、今の学生と対話しながら感じていました。そこで、医療、教育、スポーツなどの政策分野において、社会全体に資する価値が少しでもデータとして可視化できればと考えました。

 

もちろん、公共的価値なんてデータで測れない!というご批判はあるでしょう(過去記事2)... それでも可能な範囲で政策分析に組み込むことで、 将来世代が金銭優位でない多様な価値観を見出すきっかけになればと思っています。

量的研究と質的研究の対立

政治学では主にデータ分析をする量的研究の先生と、事例やインタビューを分析する質的研究の先生とのバトルが激しくなっています(-_-|||

事の発端は、3人の国際政治学者による雑誌の対談における以下の発言でした:

 

統計により人間の営みを全て理解しようという行き過ぎた「事業欲」は、『ナチスホロコーストにも帰結したといえるかもしれない。』

 

さすがに言い過ぎです(T^T) データ分析をしている研究者は、ある人間の行動や態度が生じる確率を求めているだけで、全て理解できないことなど承知のはずです。ただ、この発言が有名雑誌に公刊されるほど、日本において統計分析に対し嫌悪感があるのだと思います。お互いを理解しようとする態度の欠如から、このような対立が拡がってしまうのは個人的にとても悲しいです。

 

私が専門とする行政・公共政策学でも、データ科学への嫌悪感や抵抗感を強く感じることが多々あります。例えば、ある地方行政の現場において、学生が回答率90%前後で1300人から集めたアンケートをもとにデータ分析しても、不都合なのか理解不能なのか一蹴されるようなことはあります。

 

絶対的な分析手法など存在しえないので、それぞれの役割を認識したうえで、対立や偏見を避け、一緒に効果的な政策等を発展させるべきと個人的に考えています。

中堅教員の心得

40歳で新米教員となった際に、アカデミアで生き残るための心得について記事を書きました(過去記事)。あれから5年半...状況は変わり、先輩教員にそこまで気を遣わなくてもクビにならない任期なしの職に就きました。しかし、まだアカデミアで生き残ったと安心するのは早いのです!

 

以前の職場では、30代を中心とした途上国出身の公務員を学生として教えており、比較的大らかな雰囲気がありました。現在の学生は多感な10代後半から20代が中心で、デリカシーのない自分はいつハラスメントで訴えられるか分かりません((((( ;゚Д゚))))ガクブル

 

そこで、大学教員として生き残りたい方だけでなく、若手社員を教育する中間管理職の方の参考になればと思い、良かれと思ってした発言が思わぬ事態を生んだ事例を共有させて頂きます(●`・ω・´●)
 

ケース1:現地調査の帰りに渋滞に巻き込まれ、夕食前に40分以上待たされることになりました。疲労困憊した学生たちを元気づけるための発言でした...

自分:さぁ、みんな疲れた時こそ、ネガティブなことを言ってはいけないよd(- -) 車内の雰囲気を盛り上げるため、全員初恋の話をしよう!

学生A:セクハラです!

 

ケース2:なんとか渋滞を切り抜け、向かっていたお蕎麦屋さんの閉店前に間に合いました。先ほどの失言を挽回しようと気を遣ったつもりでした...

自分:いや~ お腹が空いたときは、ご飯が美味しいね( ̄ー ̄) それにしても、よく食べるね!

学生A:レディにたくさん食べるは失礼です(。-`ω´-)

 

大学教員として生き残るのは難しい...
          

惰性でも続けていれば

夏が終わった。単著論文1本とんでもない学術誌に提出した。夏季休暇中の9月に平日でキャンパスにいなかった日は、ゼミ合宿を除けば2日だけだった。もっと旅行したり、映画を観たり、美術館に行けばよかったのかもしれない...

 

大学受験や資格試験のように、ガムシャラに机に向かうことはない。文章を書くのは遅く、1日中机に向かって1パラグラフも書けない日もあった。データ処理は雑用のような作業で、「面倒くさい」を連呼してなんとか数字を埋めた。惰性でも机に座っていたから、何かが書き上がる。

 

華やかさなんて欠片もない生活で、人生損しているように思う。しかし、才能もないのに、世界トップレベルを目指すと宣えば、こんな生活になる。微々たる努力だが報われる保証はない、失っているものの価値も分からない、ただ後悔はない。