国際派行政学者の挑戦

慶應SFCの教員。才能ないなりに世界レベルの行政学者を目指す40代独身男(負け組)のブログ -月1回ぐらい更新-

トップじゃないけどベストな論文

f:id:shugo-shinohara:20220204105715p:plain

論文が出版されました(過去記事)!出版社から著作権を買い上げオープンアクセスにしてありますので、どなたでもダウンロードできますd(- -) ダウンロード数が伸びると、いかにも論文が人気ありそうに見えますので、たとえ読まなくとも上記画面をクリックして、じゃんじゃんダウンロードしてください!プライドなく承認欲求だけを満たそうとするダメ研究者

 

Top 10ぐらいの学術誌ですけど、以前トップジャーナルに掲載した論文(前ブログ記事)より、理論は洗練されていると確信しています。たまには研究者らしく論文解説してみます:

 

地方行政の実際のパフォーマンスと、市民の行政に対する評価はちゃんと繋がっているのか(関係しているのか)?1970年代後半から国際的に行政学者が議論してきた問いですが、結論が出ていません。「いや当然、行政パーフォーマンスが良くなれば行政に対する市民の印象は良くなり、悪くなれば市民の印象も悪くなりますよね!」と思われるかしれません... しかし、市民は行政に関心がなかったり、元来の信条や以前の経験から行政に偏見があったりして、なかなか行政の現状を客観的に評価しようとはしてくれません。

 

一方で、人間にはnegativity biasという、良いことより悪いことに強く反応する心理傾向があります。皆さん、のろけ話より別れ話の方が好きですよね(・∀・)そこで、財政再建みたいに悪いことが起これば、さすがに実際の行政パフォーマンスと市民の印象は繋がるでしょ!というのがこの論文の仮説です... ところが、繋がり(link)はあまり発見できませんでした(T^T)だからトップジャーナルに掲載できない 具体的には、行政サービスへの満足度、首長・議会・役場に対する信頼は変化なく、決定過程の適切さだけが財政再建後低く変化していました。

 

仮説が証明できないからと言って、論文書くのをあきらめていたら、世に出す論文は限られてしまいます。そこで、財政再建の実施にあたり、政治家や公務員はなるべく悪いことを隠し、将来に向けた良い面を強調するので、繋がりが弱くなるのでは?というモデルを提唱してみました。混乱した集団決定の過程だけは、政治も行政も隠し切れないので、繋がりができたと説明してみました。

 

仮説が証明できないとガッカリするのですが、素直に結果を発表していくのが研究者の務めだと思っています。今回は時間がかかりましたが、仮説があまり証明できないとき、どのように論文を書くか学ぶことができました(`・ω・´)