国際派行政学者の挑戦

慶應SFCの教員。才能ないなりに世界レベルの行政学者を目指す40代独身男(負け組)のブログ -月1回ぐらい更新-

英語に浸り 失うもの

前職国際大学は英語を公用語とする大学院大学でしたので、事務や会議を含め日常的に英語を使っていました。ところが、慶應では書類・メールの日英併記などを進めているものの、英語を使用する機会は格段に減りました(-д-;)

 

そんなことは覚悟のうえで異動したのですが、意外な発見は、以前よりネイティブの英語に触れる機会は多いことですヾ(*・ω・)ノ どんな雰囲気か、まずは下記動画をご覧くださいm(_ _)m


この動画を見て、「イラッ」とした方は本学でストレスなく過ごせません(*´-ω-`) 中国・韓国の留学生が中心ではありますが、アメリカ帰りの帰国子女が一定数おり、自分にとっては懐かしい米語に触れられます(。・ω・。) 動画の印象は様々と思いますが、容姿が日本人でネイティブ並みに英語を話せる人は、周りに「調子に乗ってる」「欧米かぶれ」みたいな印象を持たれないよう、気を付けている(気を遣わされる?)ということです。

 

この慣習は、英語を学ぼうとする海外経験のない大学生にとっても大きな障害です。臆せず留学生と英語を話したり、あるいは、純ジャパ大学生同士でも英語で会話することで、英語力は確実に伸びるからです。

 

日本の大学において、日本語書籍の傑作を読み、素晴らしい日本語で書き話す力の育成が優先されるのは当然と言えます。一方で、母国語から離れ、英語を含めた外国語で勉強し続けることも、大学生にとって1つの自然な選択であってほしいと、学部生を教えながら日々思うようになりました。

 

自分もきっと、より洗練された素晴らしい日本語を身に着ける機会があったのだと思います。そんな母国語への愛着心も振り切り、今日もFrancis Fukuyamaの英語の名文に震えながら(T^T) 日本語文章には絵文字を付けて誤魔化します(●´ω`●)ゞ

 

今日の英語の名文 (End of History and the Last Man by Francis Fukuyama):

"Liberal democracy replaces the irrational desire to be recognized as greater than others with a rational desire to be recognized as equal."